OSK日本歌劇団 緋波亜紀さん 退団独占インタビュー

この春、OSK日本歌劇団のベテラン男役、緋波亜紀(ひなみあき)さん=特別専科=が退団しました。緋波さんはダンスの名手で芝居巧者。男役の魅力の象徴である黒燕尾姿は限りなく渋く、コメディセンスにも恵まれたプロフェッショナルな舞台人として28年間、数々のステージで活躍しました。

満を持して臨んだ最後の公演「愛と死のローマ~シーザーとクレオパトラ~」(大阪市阿倍野区、あべのハルカス近鉄本店ウィング館8階の近鉄アート館)は今年2月27日~3月3日に全12公演を予定していましたが、新型コロナウイルスの影響で急きょ、期間を短縮。本当に残念な出来事でしたが、緋波さんはじめ出演者の皆さんは初日と28日の2日間4公演を全力で務めました。

コロナ終息後に実施予定の退団イベントに合わせて…と、こちらも満を持しておりました退団独占インタビューを公演DVDの発売にあわせて今、公開します。

今春、退団したベテラン男役、緋波亜紀さん

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緋波亜紀さんの退団公演「愛と死のローマ」の舞台映像を収録したDVD(税込7000円)を奈良新聞デジタルのスタンダード会員限定で3人にプレゼントします。

ご興味のある方は、会員に登録の上、ご応募下さい。

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※プレゼント応募の締切は2020年5月18日12時(正午)となります。

「人数以上の迫力」を出演者全員で

――「愛と死のローマ」で緋波さんが演じたのは、軍神マグヌスの異名をとる大将軍ポンペイウス。どんな役柄なのでしょう。役づくりも含めて教えてください。

もとはカエサルの同志でしたが、華々しい戦歴を誇り、市民の心をつかむカエサルを妬むようになり、やがて反カエサル派の旗頭としてローマ内戦を戦うことになります。振り返れば私も、OSKでの長い年月は山あり、谷あり、いろいろな気持ちを味わいました。直接同じではないんですけど、ポンペイウスの人生とリンクするようなところをうまく生かして、心の葛藤を表現できたらな、と思って演じました。

――作・演出・振り付けは、OSKのOGでもある、はやみ甲さん。はやみ先生といえば、これまでも歌あり、踊りありの迫力ある作品をたくさん作っておられますね。

今回もとにかくドラマチック!! お芝居の要素たっぷりでミュージカル色が強い作品ですが、戦闘場面など、すごく、踊ってます!

――見どころをもう少し教えてください。

たくさんありすぎて…悩んでしまうのですが、「人心掌握術にたけたカエサルを魅力たっぷりに表現する主演の楊琳(やん・りん)」「楊とクレオパトラ役の舞美りらの、ラブラブよりワンランク上の『ムフムフ感♡』」、そして、「ある時は兵士、ある時は市民など、あらゆる場面で大活躍の下級生たち」でしょうか。

――カエサルの人心掌握術! とっても気になります。

いわゆる『人たらし』というか。男も女も、周りの人をみんなとりこにする、人の心をつかんで離さない魅力があったようです。カエサルは自分を裏切ったポンペイウスに対しても、変わらぬ友情を貫いた、これは史実として伝わっているそうです。

――そして「あらゆる場面で大活躍の下級生たち」。早替わりの連続で出演者の人数以上の迫力ある舞台を展開するのはOSKならではのプロの技です。

特に下級生6人の頑張りがすごい。コロスになったり、市民で出てきたり、ある時はカエサル派、ある時は元老院側…本当に頑張ってくれました。出演者13人がフィナーレで並んだ時、『もっとたくさんの人が出ていると思った』と言っていただけたら大成功と思って、舞台を務めました。

――突然、短くなってしまった退団公演。楽しみにしていた観劇が幻になり、緋波さんの最後の勇姿を観ることが出来なくなった人もたくさんいます。かくゆう私もその一人なんですが。だからこそ、公演DVDの発売、本当にうれしいです。

退団公演でしたのでなんとも複雑ではありましたが、誰も悪くない、誰のせいでもないこと。今までに例のない緊急事態で少し早い卒業にはなりましたが、今までたくさんの愛をいただき、本当に幸せでした。OSKも今、すべての公演が中止・延期中。みんな、自宅で、公演再開の日に備えています。

そして、ファンの皆さんはもちろん、OSKの舞台をまだご覧になったことのない皆さんに、ぜひ公演DVDや動画配信などでOSKと出会っていただきたいです。厳しい状況が続く今、きっと、元気をお届けできる、と確信しています!!

「愛と死のローマ」のフライヤーを持つ緋波さん

「ご縁」に導かれてOSKへ

――緋波さんは大阪府高石市出身、平成2年、当時、奈良市にあった日本歌劇学校へ入学されました。歌劇の男役は幼いころからの夢だったのでしょうか?

小学生のころ、テレビで見た宝塚歌劇の舞台中継で歌劇を知りました。すごく綺麗で、こんな世界があるんだ、と衝撃を受けましたが、周りに歌劇に詳しい人もおらず、自分が舞台に立つ、というイメージは全然なかったんです。でも、高校に入ったら、母娘で宝塚ファン、という同級生がいて。一緒に宝塚へ観劇に連れて行ってもらったりするようになりました。

実はこの同級生『め~ちゃん』は今、はやみ先生率いるレビューユニット「夢組」のトップダンサーで振付師の Kayeon(カヨン)として活躍中。「愛と死のローマ」でも、振り付けをしてくれたカヨン先生なんです。

――歌劇の世界の入り口は宝塚だった、という人は多いですね。実は私もそうです。でも、あやめ池円型大劇場(奈良市、平成16年閉館)で初めてOSKの舞台を見て、ダンスの迫力に圧倒された瞬間から、OSKとのご縁がぐんぐん深まっていきました。緋波さんはOSKとどんな風に出会われたのでしょう。

高校で出会った『め~ちゃん』と同じバレエスクールに通うようになったのですが、そのスクールの先生が高月夢子さんとおっしゃるOSKの大先輩だったんです。

―――高月夢子さんといえば、6人の精鋭娘役が歌って踊って楽器を演奏したユニット「ジェルモンシスター」のメンバー。昨年、亡くなられた京マチ子さんら若手娘役のユニット「ラッキーフラワー」は「ジェルモン」の妹分でしたね。高月さんは、戦前から昭和40年代まで活躍し、国民的人気を誇った伝説のトップスター秋月恵美子さん(1917~2002年)の相手役を務めたこともある。

そうなんです。バレエスクールには秋月先生(※秋月さんは平成6年まで日本歌劇学校の講師を務めた)の写真がたくさん貼ってありました。ご縁はそれだけじゃなくて…高校の部活の先輩がOSKに入団されていたり、平成20年まで在団した2期上の娘役・水無月じゅんさんも同じバレエスクールだったり…。でも、みんな、後から、そういえば…という感じで、当時は、それほど強く意識はしていなかったように思います。

――OSK受験の直接のきっかけは?

母が生徒募集の情報を知って「受けてみたら」と勧めてくれました。でも、1年目は不合格。一緒に受けて先に合格した友だちが心細かったためか、「来年も絶対、受けて!」と強く言ってくれなかったら、2年目は受けていなかったかもしれません。

――運命って不思議です。

本当に。後から考えると、やっぱりOSKにご縁があったんやな、てあらためて思います。

「愛と死のローマ」稽古場の緋波さん

あやめ池の日本歌劇学校で学ぶ

――日本歌劇学校は、近鉄あやめ池遊園地(平成16年6月閉園)内のあやめ池円型大劇場のすぐ近くにありました。

これは卒業して劇団員になってからのことですが、あやめ池の公演がサクラの時期と重なると、スタッフさんたちがお花見を企画してくださいました。サクラの下でバーベキューしたり。夜桜の時期は遊園地が遅くまで開いていたので、満開のサクラを下に見ながら、モノレールやジェットコースターに乗って、すごく楽しかったです。

――学校は2年制。1年目が本科で2年目が研究科。2年目の夏には生駒山上遊園地の野外ステージで舞台実習がありました。

夏の宵、霧の中で踊りました。山の上なので、日が落ちるとお天気の良い日でも肌寒くなって、もやがかかってくるんです。また、通常だと、この舞台実習がお客さまの前で舞台を務める初めての経験になるのですが、私たちは、研究科に進級する直前に「アップフェルラント物語」名古屋公演(平成3年)に出させていただきました。でも、この時はまだ学校生なので、正式な初舞台は平成4年、あやめ池円型大劇場の「レビュー・オブ・ラブ」です。

――入団は創立70周年の年。あやめ池の初舞台でもラッキーな演出があった。

紋付袴の初舞台生が勢揃いしてご挨拶をするのですが、真ん中でセリフを言う子は日替わりなんです。1日3人ずつくらいだったでしょうか。その3人がせり上がりで出たのですが、初舞台でせり上がり、あらためて振り返ると、すごいことですね。

紋付袴はOSKの正装。存続活動の時も、街頭署名は常にこの姿で呼びかけていました。

ターニングポイント

――入団4年目で話題作「青春革命」新人公演(近鉄小劇場、平成7年)に出演したり、80周年記念特別公演「PLAY-BACK」では公演を盛り上げる立役者のAD役(あやめ池円型大劇場、平成14年)、真田幸村ミュージカル「YUKIMURAー我が心 炎の如くー」の服部半蔵役(サンケイホールブリーゼ、平成22年)など、多彩な役を演じて来られましたが、ターニングポイントは。

いつも、その時、その時の思い入れがあるので数え切れないですが…。ひとつ上げるとすれば、「ノクターン~夢よりも儚く」(MIDシアター、平成13年)のハンス・シュミット役でしょうか。『オネエ言葉で話すホモセクシュアルの執事』というキャラクターです。「女性っぽい男性」に見えなければいけないのですが、一歩間違うと「おばちゃん」になってしまう。

この作品に出演しておられた大貴誠さん(後のトップスター)に、いろいろアドバイスをいただき、ニューハーフの方が出演されるテレビ番組や海外のコメディー映画なども見て、すごく研究した思い出があります。

渋い役からコミカルなキャラクターまで、常に『絶妙の間』で好演した緋波さん

「アヤボウ」は精進の証し

――所作へのこだわりも緋波さんならでは。以前、いかるがホール(斑鳩町)での公演取材に早めに到着したら、舞台上で緋波さんが後輩の男役さんに、殺陣の時の太刀のさばき方を実にきめ細かく伝えておられました。日舞の扇子や洋舞の羽根扇の動きも、ひときわ大きくて滑らか。元々器用な方なのでしょうか。

器用でもないと思いますが、小道具を持つなら扱い慣れていたいな、と思うので。日舞の扇子は「扇子が息をしているように扱えたら」と心がけています。羽根扇もそう。小道具を美しく扱えることは武器になる、と思います。でも、それは、今、振り返って思うこと。昔は、そんなに深く考えることなく、とにかく、お稽古したものです。あやめ池の舞台は朝早くから楽屋入りできて、お稽古する時間が十分に作れたので。終演後に集まって舞台で自主稽古し、上級生に見ていただく、そういう機会もいっぱいありました。それから、私、「初代アヤボウ」なんですよ。

――アヤボウ…「マツケンサンバ」のバックダンサーさんが両手に持っておられる、振るとキラキラしたテープ? がヒラヒラする、あの「あや棒」ですか。

そうです、そうです。私たちは、そのテープを『シャラシャラ』と呼んでいます。ずっと以前のこと、両手にあや棒を持って踊る景があって。シャラシャラがなるべく効果的に揺れる振り方、決め方などすごく練習しました。

私たち、あや棒の扱いが得意な人を「アヤボウ(あや坊)」(関西風に後ろにアクセントが付く)と呼ぶんですが、その時、初代あや坊を襲名させていただきました(笑)。みんなに「アヤボウ」「アヤボウ」と呼んでもらって、とってもうれしかったですね。高校の部活がバトン部だったのが、棒を見ないで動く感覚に役立ったかもしれません。

「小道具を美しく扱えることは舞台人の武器になる」と語る緋波さん

鳥肌立つ群舞こそ、OSKの醍醐味

――緋波さんといえばダンス! タンゴやスパニッシュの時の緩急自在のカウントのとり方と美しい動きが、常に光っていたし、群舞の時は、内側から『踊る幸せ』があふれてくる、そんな感じを受けました。

群舞ってOSKならではのもの。そろってなんぼやし、それで風を巻き起こせるのがOSKの醍醐味だと思います。踊りながら鳥肌が立つ、というか、みんなの息を感じながらやる、ていうのが好き。だから、ラインダンスも、めっちゃ好きでした。

かわり燕尾でポーズを決める緋波さん

解散を乗り越えて

――平成14年6月27日夕方、当時の親会社だった近鉄がOSKへの支援打ち切り、平成15年5月末をもって解散、と発表した、とのニュースが流れました。だれもが寝耳に水。緋波さんは、いつ、どこで知りましたか。

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