広告ウヒョー!に学ぶ、世の中をウヒョー!と見るためのコツ

広告業界は、広告の広告がヘタだ。

どんなにヒットした広告でも、誰が作ったのかはよほどのマニアか業界人しか知らない。筆者の職種であるコピーライターは、いまだに「一行書くだけでお金をもらえる仕事」と言われることがある。「クライアントのお金で自己表現をする仕事」という誤解も根強い。これらはすべて、広告業界の発信不足が原因だ。

人が生活の中でもっとも接する機会が多い表現は、映画でもアニメでもゲームでもなく、広告だ。テレビやスマホを目にすれば、イヤでも広告が表示される。それなのに、広告について語られる場は極端に少ない。これは広告業界だけではなく、世の中全体にとって大きな損失だ。

そんな中、YouTubeチャンネル「広告ウヒョー!」が話題になっている。登場するは、トップクリエイターである福里真一さんと伊藤直樹さんと、そして広告会社の若手営業の山田百音さん。この3人がヒット広告や名作広告を取り上げ、それぞれの視点でその広告のどこが優れているのかを分析する。3人の息の合ったやり取りも楽しく、広告業界の人はもちろん、世の中一般の人が広告の魅力を知るのにぴったりな内容になっているのだ。

今回のイノベーターズ・インタビューでは、福里さん・伊藤さん・山田さんに直接取材。広告ウヒョー!の制作の裏側から、福里さん・伊藤さんの企画術まで、たっぷりお話を聞くことができた。

あなたの広告を見方と作り方に、大きな影響を及ぼすこと必至の内容だ。

 

「広告ウヒョー!」は、こうして誕生した!

橋口:まず3人の出会いについて教えてください。

福里:私と伊藤直樹さんは、プロ野球でいうと小林繁と江川卓の関係ということになっていまして。

山田:なっているんですか?

伊藤 :まぁ、そうですね(笑)。

福里:一応、解説すると(笑)、プロ野球選手になるにはドラフト制度を経ないといけないわけで、くじ引きが行われます。しかし、ある時、プロ野球機構のルール上、「空白の1日」が存在したんです。その日に巨人が江川と契約しちゃったんですよ。つまり、ドラフトを無視したと。

その翌日のドラフトを巨人はボイコットしました。そこで阪神は江川を1位指名したわけです。ルール上は阪神が正しいんですが、「空白の1日」については規約には記されていないため、問題になったんです。結果的には、当時巨人のエースだった小林繁を阪神に放出し、阪神がドラフト1位指名した江川を巨人に移すという形で解決しました。

結果、凄くしこりが残ったんですよ。特に小林繁はすでに巨人のエースで、キャンプ地に向かうところで止められ、「お前は阪神に行け」と告げられたわけです。しかし、阪神に行った1年目に彼は負けるものかと凄い活躍を見せ、20勝以上をあげたという話です。​​

山田:今の比喩がわかってきました!

福里:申し訳ないけど、20年前くらいまでは全員知ってた話(笑)。Z世代の皆さんにとっては少し理解しづらいかもしれませんね。小林繁と江川卓の関係がわかったところで、私と伊藤さんの話に戻します。

私はかつて、ワンスカイという会社に所属していました。しかし、私を除く全員がワンスカイを去り、新たに「GT」という会社を立ち上げたんです。その結果、私一人がワンスカイに残る形となったのです。そして、新たにGTに加わったのが伊藤直樹さんということになります

話が少し複雑なのは、ワンスカイに物理的に残ったのは新会社のGTのメンバーで、私は単独で別のオフィスに移ったという点です。つまり、私が去り、元々のオフィスに残ったのはGTを立ち上げた元々のワンスカイのメンバーたちだったのです。その結果、私は一人で麻布十番のはずれにあるオフィスに移ることとなりました。

橋口:ややこしいですね(苦笑)

福里:その後、GTのメンバーたちは、元々のオフィスにとどまりました。その時、私が使っていた部屋を引き継いだのが、伊藤さんだったんです。

伊藤 :通称、福里部屋ですね。

福里:たぶん僕の涙や汗が染み込んだ部屋だったと思うんですけど(笑)、そこから小林繁と江川卓の例えでもわかるとおり、伊藤さんはGTで沢村賞を…

伊藤 :江川は沢村賞を取れてないんだよね。記者に意地悪されてね。

福里:まあそうなんだけど(笑)。当時から沢村賞というものがありまして、今も同じですが、記者が投票するものなんですね。当時、20勝を上げていたものの、記者から好意を持たれていなかった江川選手は賞を逃したんです。逆に、西本という別の巨人のピッチャーが沢村賞を獲得した、という経緯があります。どうでもいい解説をしていますね(笑)。

まとめると、ベテランの私が追い出され、新たに生き生きとした、デジタルに詳しい伊藤さんが入ってきたという関係ですね。私が5年間関わってきた人々との関係を、伊藤さんそのままが引き継いだということです。そこで伊藤さんに色々アドバイスをした、という経緯ですね。知り合ったのは。

伊藤 :それでごはんに行ったり。

福里:というのが時々ある、そんな感じの関係だったわけです。

で、それなりに親密さを徐々に高めつつ、二人でクリエイター向けの講演会を開催することになったんです。でも、リモートでの打ち合わせを重ねる中で、会社ごとに講演を行うのではなく、世の中全体に向けて広告の面白さを伝えたいという話になりました。

特に若い世代からは「広告はつまらない」や「広告が嫌い」といった反応が多くて、存在自体が意識されていないように感じもありました。そのような状況を変えるためには、我々自身が広告の面白さを伝える必要があると思ったんです。

私たちは2人とも雑誌「広告批評」が好きだったんですよ。高校時代から読んでいて。特に伊藤さんは、編集長の天野祐吉さんから非常に愛されていました。

橋口:福里さんは別のインタビューで、「伊藤さんは天野さんの秘蔵っ子」と言っていましたね。

福里:それは本人から後で聞けばいいと思うんですけど。

でも、今雑誌をつくるといっても大変だし、なかなか読まれないですよね。というので、YouTubeでやってみたらいいんじゃないかという話になったんです。それで、おっさん2人でやっていてもしょうがないので、どうしようと言っているうちに、山田百音さんが颯爽と「Z世代代表です!」と出現したという、そういう流れです。

山田:私自身は広告の営業で、クリエイターじゃないんですけどね。とはいえ、クリエイティブが好きで携わっている人間という感じです。若い視点があったほうがいいよねという話から、お誘いいただいて。

福里:でも、実際に形になるまでにはかなり時間がかかりました。ネットで実物の広告を公開する際に多くの許諾を得なければならないこと、お金を払う必要があること、そして最初から許諾が下りない場合もあることなど、様々な問題があったんですよ。恐らく、これまでにも多くの人たちがこの問題にぶつかり、「とてもじゃないけど無理だ」となっていたんじゃないかな。

しかし、そこで「いやいや、もう広告を見せなくてもいいんじゃないの?」と発想を切り替えたんです。しゃべるだけで、その魅力を伝えられるんじゃないかと。批評ではなく、「ウヒョー!」と感動を紹介することにしたんですね。「見せなくてもいいからやってみよう」と。

山田:昔はテレビや広告への憧れから優秀な学生が広告業界に入っていたんですよね。でも、現在の広告業界は多少落ち込んでおり、面白い業界とは思われていない。だからこそ、私たちの活動を見ていたという学生と会うと、励みになりますよね。まだこれからのチャンネルですけど、その子が将来を考えるきっかけになれたというのは、うれしいなと思ったり。

福里:昔は天野祐吉さんが朝日新聞で「CM天気図」という広告紹介のコラムを執筆していました。筑紫哲也の『News23』では、広告のベスト10を紹介していました。天野さんが、広告の面白さや見方を発信してくれてたんですよね。しかし、今はそのような発信が少ないんじゃないかと。

広告業界が、「広告ってなんか嫌われてるらしい」みたいにいじけている割には、外側に発信していないのかもしれないなということで、微力ながら我々が勇気をふるってやっているんです。

広告クリエイターが広告を語ることの難しさ

橋口:とてもよくわかりました!天野さんは、おっしゃるとおり、広告を文化にした人だと思います。ただ、天野さん自身はクリエイターではなかったですよね。クリエイターの当事者がクリエイティブについて発信するのは、難しいバランス感覚が必要だと思います。その葛藤はありますか?

伊藤:基本的に自分たちの作品を褒めない。たまに言わざるを得ないことがあるんです。関わっていますとか、あの企業はやってますとかって言わざるを得ないんですけど、基本的には自分たちの作品は原則取り上げない。自慢もしない。自分たちが所属している関係者とか会社を忖度とかをするのもやめようと。そこはルールにしています。

福里:あと、もういいかというのもあって。30代とかだと、マイナスになることも全然あり得るわけじゃないですか。「なんだあいつ、何を威張って他の人の広告についてとやかく言ってるの」みたいな感じで、仕事が減ったり、嫌われたりする可能性というのは絶対あるわけなんですけど、もう今から嫌われてもいいかなと思ったわけです。

簡単に言うと、今現在は、失うものは無いというのがありますよね。30代とかでバンバンつくっているのであれば、話は違うんでしょうけど。…こう言うと、今バンバンつくっていないみたいな感じになるけど、そうでもないんだけどね(笑)。まあでも、別に嫌われてももういいやという思いはありました。

橋口:山田さんはどうですか?

山田:クリエイターとしての立場であれば、恐縮してしまって意見を言うのが難しいかもしれないですよね。でも、私は意見を言う若手としての立場で、「それ知らないんですけど」とか「なんでそれ面白いんですか?」と、かなりフラットな立場で言えちゃいます。

周りからは、「よくあの二人と話せるね」とか「物怖じせずに意見を言っているね」とも言われますけどね。しでも、今のところ、批判ややっかみは受けていないので、問題はないと思います。

福里:そもそもそこまで成功してないもんね(笑)。

山田:まだね、そんなに(笑)。

福里:私の中では、裏テーマは、山田百音さんが人気者になることなんですよ。私や伊藤さんが今からすごい人気者になるって難しいから。

伊藤:いやいや、わかんないですよ!全然わかんない。

福里:やっぱりネット上の人気者になり得るのは山田百音さんだと思っているので。だから、今まではあんまりなかったけど、山田百音さんが完全に主役な回とか、そういうのも今後あってもいいと思うんです。うまいんですよ。合いの手というか、なんというか、リアクションが。

伊藤:山田さんは電通がある築地出身なんですよ。私がADKにいた頃、デビッド・ベッカムを日本に招くというプロジェクトを手掛けていたんです。その時の目玉イベントの一つとして、さまざまな小学校を訪問して、子どもたちとボールを蹴ったり交流したりする活動がありました。山田さんは当時、築地の小学校の小学生で、ベッカム訪問が新聞の一面を飾った時、山田さんもその写真に写っていたんですよ。

橋口:それは不思議な縁ですね!

山田:後から発覚して。私はそれが広告の仕事だというのも、知らなかったんですけどね。

伊藤:そういうのも積み重なって、山田さんは普通の人よりは、広告に慣れている部分はあると思うんです。間違いなく。築地は電通旧本社も近かったし、ADKもすぐ近かったので、広告業界の人がウロウロしていたわけですから。

橋口:ニュース番組とかでありがちなのが、有識者の男性が出てきて、横に若い女性がいて、その女性が完全に聞き役になってしまう時がありますよね。広告ウヒョー!はそれが無いのが印象的です。

山田:「聞き役にならない」は意識しているかもしれないですね。アナウンサーとかじゃない立ち位置と思っているので。「若手からツッコむ営業」みたいな。クリエイティブに興味を持ってもらうために、間口を広げる役割が私かなと思ってます。

橋口:先ほど出た「伊藤さんが天野祐吉さんの秘蔵っ子」というのはどういうエピソードなんですか?

伊藤:2006年に、NIKEiD「Cosplay」という作品をつくったんです。あれ、日本ではけっこう無風だったんですよ。

福里:そうでしたっけ?

伊藤:あれは、YouTubeが日本に普及し始めていた頃の作品です。その時点では、YouTubeに広告はほとんど無かったんですよ。バイラルムービーの概念も、日本にはまだ無かった。でも、海外ではあったんですよね。Nikeがサッカーのロナウジーニョを主役にしたバイラルムービーを作って、非常に成功していた。その影響で、日本でもやりたいと思ったんです。それで、ナイキのマーケティングディレクターに自主提案して、「とりあえずやってみよう」ということになったんです。予算はあまり無かったんですけど。

そうして作った「Cosplay」は、驚くほどバイラルしたんです。200万ビューいったんですよ、全くアドがない時代に。

橋口:当時の200万ビューは相当すごいですね。

伊藤:本当にオーガニックに広がったのに、日本の広告業界的には無風だったんです。で、唯一取り上げてくれたのが『広告批評』の河尻亨一さん。河尻さんが天野さんに私のことを紹介してくれて、会うことになったんです。それ以来、何かと声をかけてもらえるようになりました。

天野さんに言われたのは、「君はコピーライターといえばコピーライターだけど、コピーライターではないよね」と。一体何者なんだ?というのを、2年間くらい、ずっと言われていたんです。

そうしたらある時、「いわゆる大工の棟梁だよね」と。クリエイティブディレクターという呼び方はちょっとパチモンというか、本物くさくなくて、私はあんまりピンときてなかった。けど、クリエイティブディレクターは、いわゆる大工の棟梁だと考えると、初めて腑に落ちたんです。

橋口:「大工の棟梁」と言われるとすごい腑に落ちますね、伊藤さんのスタイルは。伊藤さんは、今は純粋な広告を手掛けることは少なくなってきていますよね。

伊藤:知り合いの起業家とかに頼まれたらやりますね。けど、大手の企業のキャンペーンというのは基本的にやっていません。

橋口:その中で、この広告ウヒョー!をやられているというのが、すごく面白いなと思って。

伊藤:僕がカラダ半分、広告業界の外にあるので、言えるというのはあるんです。もし3人とも、ずっぽり中に入っていたら、「あいつら、つくりながら何言ってるの?」みたいな批判が出てきちゃうかもしれないですよね。

橋口:普段の仕事が、広告の外の領域になっている中でも、広告に興味がなくなったりはしていないんですね。

伊藤:それはないですよね。僕も福里さんみたいにCMをつくりたいですけど、そういう仕事は来ないんですよ。

福里:そうなんですか?

伊藤:つくりたいです。

橋口:この記事は伊藤さんのファンも読んでいると思うので、ぜひCMの仕事もご依頼ください!

「広告ウヒョー!」動画が配信されるまで

橋口:広告ウヒョーの動画は、週1で公開していますよね。制作のタイムラインやその過程が知りたいです。脚本作成から撮影、そして編集まで、どのような流れで進行しているのでしょうか?

伊藤:月イチで撮影をして、3本撮りだめています。3本撮って、うち1本は二つに割ったりして4本にする。で、毎週水曜日に仕上げる。僕らとしては月1なので、そんなに負荷が高いとか、締め切りに追われてとか、そういう感じではないんです。撮影の直前までに何を取り上げたいかをFacebookのメッセンジャーでやりとりをしているという感じですかね。

橋口:脚本は?

伊藤:脚本はほとんど無いですね。

山田:無いですね。テーマを決めて、それぞれ、話す人のリーダーくらいを決めるという感じですかね。この前、岡本太郎の回があったんですが、それは福里さんが話しました。ChatGPTの回は、詳しい伊藤さんが担当です。私が持ち込むこともありますよ。

福里:サウナとかね(笑)。

山田:サウナ回は、私が持ち込んだんです。好きなものをやりたかったので(笑)。

橋口:たしかに今流行っていますよね。「新しいゴルフ」みたいな感じで、みんな行ってますよね。

山田:広告って世の中に広める手段じゃないですか。世の中で流行っているものには、流行るエッセンスがあると思うんです。だから、流行っているものをひも解くことは広告につながるし、広告に興味がない視聴者にも面白いと思ってもらえるんですよね。

福里:広告ウヒョー!は、広告に興味を持っている人だけが見るためのものではないんですよ。むしろ広告に興味を持っていない、あるいは広告が嫌いという人たちに、一番見てもらいたいんです。
だからこそ、サウナなど、広告以外のものを広告的な視点で語っています。それが、サウナ好きにとっての「広告ウヒョー!」への興味の入り口になる。

『広告批評』も、常に広告ばかりを取り上げていたわけではないんですよね。橋本治さんが時代について分析するコーナーがあったり、淀川さんとおすぎさんが映画を語るコーナーがあったりと、多種多様なコーナーがありました。

橋口:テーマを決めたら、あとはその場の進行でやっていくんですか?

福里:完全にそうですね。

山田:「月1で集まって、じゃあ次回こうね」みたいな感じですね。

橋口:それで番組になっているのがすごいですね。編集の人が相当、優秀なんでしょうね。

伊藤:編集がすごいですね。

橋口:あと、いわゆるYouTubeのトンマナに合わせながらも、ちゃんとデザインされたルックになってるのが凄くいいなと思っています。個人的に、YouTubeのサムネ画像が、あまり好きではないんです(笑)。わかりやすい顔芸をして、汚いフォントが乗って…みたいな感じじゃないですか。広告ウヒョー!はあのトンマナを守りながらも、デザインされたルックになっていて、アートディレクションが利いていると思います。

伊藤:僕はYouTubeを死ぬほど見てるんですよ。一番見てるメディアはYouTubeというくらい見てるので、本当はYouTubeっぽく寄せたくなるんです。けど、福里さんは『広告批評』が持っていたようなセンスがある感じがいいと思っているんですよね。それもあって、YouTubeっぽくしすぎない感じにはまとまっています。

橋口:YouTubeのトンマナになってるけど、広告批評的な文化の香りもあって。お手本にしたYouTube動画はあるんですか?

山田:中田敦彦さんのYouTube大学とか。ただ、そこに乗せちゃうとやっぱり違うので、オリジナリティを出しながらやっていますね。

橋口:僕が広告ウヒョー!を見て最初に思い出したのって、「コテンラジオ」や「ゆる言語学ラジオ」のような、良質な学び系コンテンツなんです。どちらも音声ですが。

伊藤:それはうれしい。

山田:コテンラジオさんのように、9万人くらいいくといいな〜。

ウヒョー!という視点で、世の中を見る秘訣

福里:ナイツの塙さんは、思うようなネタが作れず途方に暮れていたときに「人が本当に好きなものを夢中で語る姿が最も面白いと気付いた」と著書に書いていました。

塙さん自身、プロ野球好きで、特に巨人ファンでした。そんな彼が、自分が野球について熱く語る姿こそが観客にとって面白いと考えたんですね。そのアイデアを形にするために「ヤホーにこういう話が載っていた」というやり方で野球トークが生まれ、それがヤホー漫才へと繋がったんだそうです。

私も、人が心から好きなものを素直に語る姿が一番面白いと感じ、それが「広告批評」から「広告ウヒョー!」へと発展していったんです。説教や説得になってしまうと、広告に興味がない人は見ないですよね。それよりも、心から「このCM、面白い!」と語る姿を見せて、それが魅力的に伝わればと思っています。これが私が一番意識していることですね。

伊藤:そこは話しましたよね。だからウヒョー!なんですよね。

橋口:人がウヒョー!となっているところが一番面白い、という。

伊藤:もう一つ重要な要素は、やはり『広告批評』。私たちが世の中をどう見るかに大きな影響を与えた雑誌です。

今の社会って、どこかで批判しようとしたり、何か駄目なところを見つけようとする視線が広まっている感じがします。一方、80年代の頃は、「こういうものを応援するのが面白い」「こんなつまらなかったものが面白く見えるよ」という文化があったと思います。

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