クリエイティブインタビュー|長崎新聞社
2020年8月9日、長崎県民のもとに、いつも通り長崎新聞が届けられた。しかし、長崎新聞を手に取った人は驚いたことだろう。
「今年の平和祈念式典は家で行われます。(と、想像してみよう。)」
「会場へ行きたくても、足を運ぶことができないあなたのために。新聞紙一枚ぶんの式典会場を用意しました」
平和公園の石畳の写真が新聞紙面いっぱいに広がっていた。
1945年8月9日は、長崎に原爆が投下された日。
75年後の2020年8月9日、原爆投下中心地に整備された平和公園(長崎市松山町)では、原爆死没者に対する慰霊と平和への誓いを行う長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(長崎平和記念式典)が開かれた。
しかし、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響により、規模は例年の10分の1に縮小され、一般参加者の参列は別会場での参列に制限、感染予防のため止むを得ず自粛するしかない人も多かった。
この長崎新聞の紙面は、そのような人たち含め多くの人々に対して、黙祷への再認識や、自粛への励ましや安心感を伝えた。この紙面は瞬く間にSNSでも拡散され、日本全国へと広がり、多くの人が「平和」や「原爆」について考えるきっかけとなった。
今回、この紙面を企画した長崎新聞社の福岡一磨さんに、どのようにして紙面企画を進めたのか、詳しくお話しいただいた。
長崎新聞社
明治22(1889)年9月5日、「長崎新報」の題号で創刊。原爆投下による社屋焼失など幾多の苦難を乗り越え新聞を発行、平成元年に創刊100周年を迎えた。長崎県唯一の県紙として、県民への報道と共に「平和の尊さ」を発信し続けている。現在の本社は長崎県長崎市茂里町にある。
平和をどのように次世代へ伝えていくか
紙面の企画を担当した
長崎新聞社メディアビジネス局
地域ソリューション部次長兼Webソリューション課長
福岡一磨さん
——こちらの紙面企画はいつ頃から、どのような方々でスタートしたのでしょうか?
今年は終戦から75年ということで、新聞社として紙面企画に挑戦しようとなり、5年前の終戦70年の紙面企画を担当していた私に任されました。
2月上旬に会議をスタートし、新しい知恵や考え方は必要だなと思い、電通九州長崎支社の高村正信(たかむらまさのぶ)さん(※9月1日付けで、電通九州本社に異動)や、知り合いで長崎出身だった電通の鳥巣智行(とりすともゆき)さんに相談したことが、今回の紙面のはじまりでした。
鳥巣さんは、高校校生一万人署名活動実行委の初代OBで被爆三世、長崎の平和活動に積極的に取り組んでいる方で、良いアイデアをいただけると思っていました。
スタート時は、私と鳥巣さんと高村さん、その後、電通の江波戸李生(えばとりお)さんが加わり、主にこのメンバーで企画を進めました。会議は、東京と長崎をつなぐリモート会議やメール、電話でのやり取りで進めました。
——それぞれどのような役割をされていたのでしょうか?
鳥巣さんには、企画立案の中心を担ってもらいました。平和活動家でもある鳥巣さんの「想像力が最大の抑止力になる」という考え方や意見、またコピーライターとして紙面のラッピング裏面のコピーのほか、拡散の手法なども担当していただきました。
江波戸さんには、アートディレクターとして原寸大の地面を届けるアイデアを考えていただき、デザインのとりまとめも担当していただきました。
高村さんには、電通サイドのとりまとめ、分かりやすく伝えるための工夫や、PR全般を担当していただきました。
私は全体の取りまとめ、社内調整、編集、販売などの他部署や、販売店への説明と理解、セールスのための企画書制作、セールス全般を担当しました。
他に、プロカメラマンの山頭範之(やまがしらのりゆき)さん、J2のVファーレン長崎の専属カメラマンが撮影のために何度も平和公園を訪れてくれました。
——どのようなアイデアから進められたのでしょうか?
最初に、私から「被爆から75年を迎える今年、次世代への継承が難しくなる中、若者を含む、多くの方が参加できるかたちで、平和について考えるきかっけを作りたい」と、目指すところを提示させていただきました。
2月上旬はまだ、コロナの影響も深刻ではなくて、人との接点を持つようなアイデアも多く出ました。例えば、子供たちが被爆者を取材し、その記事を長崎の地図上にマッピングしたりすることなど、20以上は企画案があり、アイデアを出しては消え、その繰り返しでした。
そのうちに、コロナの情勢が変わり、イベント事業の案も断念することになってしまいました。オンラインで何かしようと、人気ゲームの「あつまれ どうぶつの森」で、平和会議を開催するという案もありましたが、幅広い方々の参加は難しいと断念しました。
若い人たちに知っていただくために、SNSでの拡散を中心とした紙面も企画案にあり、本当に幅広い方々に情報を伝えることができるのか、その方向性で意見のぶつかり合いもありました。ただ途中で、まずは購読者の手元に届ける「紙面のみで勝負する」そう覚悟を決めてやろう、となりました。
そして議論を重ね、5月下旬に、現在の石畳みの案に決まりました。正直、紙面の実現可能な期限ギリギリでしたね。
社内で賛否、誤解を招く可能性
——アイデアがでた当時、長崎新聞社内ではどのような反応だったのでしょうか?
「これはいい」と「誤解を招く」の2つにわかれました。
デザインや考え方などはコロナ禍に合っていると、「これはいい、面白い、斬新だ」といった反応と、8月9日を面白がっているような、何を伝えたいのかわからない、「誤解を招く」可能性があるとの反応がありました。
——確かに「平和」というデリケートな企画で、言葉や表現などを間違えてしまうと、誰かを傷つけてしまいます
誤解を与えず、どのように内容をまとめていくか、それが重要でした。紙面表現はデザイナーの江波戸さんが、しっかり配慮してくれましたね。コピーなどは鳥巣さんが全て担当してくれました。
細部まで突き詰めた読者の気持ち
——紙面実現にむけて、特にこだわったことは?
新聞としてできること。出来る限り分かりやすく、思いを伝えること。
若者を含めた多くの方に、どうすれば「想像力が最大の抑止力になる」という思いを伝える、そして、参加しやすくなるのか、を考えました。
当初、拡散・シェアするときの文言の「#想像力が最大の抑止力になる」でしたが、「#8月9日に想像したこと」に変更しました。
理由は、祈念式典会場の地面を新聞紙面で届けることで、読者の想像を促し、
「想像力の大切さを感じてもらう」
「想像力が最大の抑止力になる」
という企画の根本を守りながら、より多くの人がツイートなどで参加しやすくするためです。
若者を含めた多くの方に、どうすれば平和や原爆について考えるきっかけづくりになるかと思い、弊社のHPに紙面をダウンロードできるようにしたバナーを張り、かつ「#8月9日に想像したこと」として、SNSでの投稿を呼びかけました。
また、 写真の石畳の色調に合わせるため、新聞の題字を通常の青から黒にしています。色調のデザインは江波戸さんのアイデアです。
ただ、これまで長崎新聞社では題字の色まで変える、といったことはしなかったのですが、今回の紙面企画は通常の新聞を企画紙面でラッピングされて配布されることもあり、見た人に誤解を招いてはいけないと社内の各部署で協議し、題字の色を変えました。
——紙面は裏表の見開き、裏面ではボディコピーで、読者に想像を促すことで平和を訴え、イラストで黙祷の手順も解説されています。こちらのコピー開発はどのように進められたのでしょうか?
ボディコピーは鳥巣さん、イラストは株式会社プラグのデザイナーの高坂さくらさんが担当しました。そして、分かりにくい表現がないか高村さんと福岡で確認し、チームで議論をしながら表現をブラッシュアップしていきました。
はじめのアイデアでは、黙祷をしている時を撮影し投稿してもらうようにしてましたが、祈っている時に撮影するのは祈りの妨げになると考えて、「黙祷が終わったら」という表現になりました。
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