パンチライン満載!「KAZA2NA」明松さん中尾さんが語るキャリアとビジネス

ボーダーレスクリエイティブカンパニー「KAZA2NA(カザアナ)」を創業した、
中尾さんと明松さん。

フジテレビの「めちゃ×2イケてるッ!」のプロデューサーを務めた“ガリタさん”こと明松功(かがり いさお)さんと、グリコ「江口愛実」サノヤス造船「造船番長」など数々のヒット広告を手がけた電通のクリエイティブ・ディレクター中尾孝年さんが、今年春にそれぞれの会社を退社。2人で「KAZA2NA(カザアナ)」という会社を立ち上げた。

テレビと広告、近い業種ながら、これまで無かった組み合わせでの創業だ。

華々しいキャリアの影にある挫折や苦悩、そしてKAZA2NAとしての今後まで。創業直後で多忙な明松さんと中尾さんに、たっぷり話を聞くことができた。あなたの仕事の役に立つヒントや、心が折れた時にそっと支えてくれる言葉が満載だ。

2人の出会いと、学生や新人の時にやったこと

橋口:まずは、お2人の出会いから聞かせてください。2人とも神戸大学のアメフト部出身と聞いています。

中尾:そう。俺が1年生の時、「カガリさんっていう、見た目がめっちゃ怖い先輩がいはる」って噂になってたんです。1年生にとって4年生は「神」やし(笑)、見た目めちゃめちゃ怖い先輩やけど、しゃべったらめっちゃおもろい、と。

神戸大学には、雇われコーチとか雇われ監督がおれへんかった。だから、4年生が教えてくれたり、明松さんが留年して5年生になったとも(笑)つきっきりでコーチしてくれて。それでめっちゃようしゃべれるようになった、という感じ。

橋口:でも、上下関係は厳しいんですね?アメフトですから。

中尾:厳しいけど仲いいですよね。

明松:そうっすね。

中尾:4年生はやけど、フレンドリー。「アホボケ死ね!」とか、そんなん言うてても強うならへんからさ。先輩やからといって頭ごなしにならずに、めっちゃ論理的に説明してくれるんです。明松さんはもちろん、他の先輩もそうなんやけどね。ちゃんと人としてリスペクトしてお付き合いできる。

明松:学生主体のチームだから、4年生が全部決めるんですよ。今年の目標やテーマ、日々の練習メニューまで。100人の大所帯を学生ながらマネジメントしていたんです。他ではあんまり体験できない大事な1年でしたね。マネジメントの知識なんか全然無い状態から、ポンと4年になった瞬間に肌感覚でやるというのは、今思えばいい社会勉強だったなと。

中尾:4年生の自分と、自分より経験がない2年とか3年の後輩がいたとする。普通やったら4年生が「よっしゃ、わしが試合出まくったる」ってなる。でも、マネジメントの視点でいったら、自分より後輩を出した方が将来、大化けするかもしれんって判断したりする。そういうマネジメントを全部、4年生がやるんやで。すごいやろ。

橋口:新入社員を育てるみたいな感じですね、完全に。

中尾:似てる、似てる、すごい。コピーライターやCMプランナーにとっても師匠って、ビビって口聞けへん瞬間もあるけど、ええ意味で親しかったりするやん。師弟関係。それに近いかも。まあでもやけどな(笑)。これはほんまに。

橋口:明松さんは中尾さん出会った時、4年生だったので、その後すぐに就職ですよね。

中尾:「明松さんフジテレビ受かったらしいで、マジ?」みたいに、ざわざわってなって。いや、明松さんおもろいから受かる思ってたで、みたいな話をして。

橋口:中尾さんも明松さんを見ていて、テレビ局を受けようと思わなかったんですか?

中尾:めっちゃテレビ行きたかってん。でも、俺は4年遅れで社会人になってるから、テレビ局は年齢制限でNHKしか受けられへんかった。ほんで、NHKは受かった。そやけど、阪神大震災直撃世代やからさ。すごい偽善ぶって「伝える意味ってなんでしょう?」とか言うてた(笑)。

そうしたら、あれよあれよと、使命感のある報道向きの体育会の子が入ってきたみたいな感じになってて(笑)。「俺、バラエティとかドラマとか行きたいのに」とか思ってて。報道枠で受かったから、周囲が、尊敬できるけど同級生やったら友達になれへんタイプの方々ばっかりで(笑)。10年、20年所属するの、これしんどいな思って。今でもNHKは素晴らしい方々ばっかりやなとは思うんですけどね。

で、電通は全然年齢制限がないから。第一志望じゃなかってんけど。まあでもテレビっ子やし、CMめっちゃ好きやったし。会う先輩、会う先輩おもろいやん、面談とかでも。

橋口:それはありますね。よくわかります。

中尾:面談なんて忘れるくらい、めっちゃ変なこととか、あほなこととか聞いてくれたりとかするやん。若者やから「大人なんてつまんねえ」とか思ってたのに、こんな面白い大人の人とか、こんなかっこいい大人がいんのやと思って、どんどん電通を好きになって。で、電通行ったって感じ。CMを頑張ってつくってたら、明松さんの接点も生まれるかもしれへんし。

橋口:でも、入社してからしばらくは、コピーライターとしての仕事が中心だったんですよね。

中尾:ブリブリのCMプランナー志望で入ってんけど、ついた師匠が、ブリブリのコピーライターで。「コピーの勉強しろ」言われたんやけど、すげえ反抗的やったからさ。1行でええこと書くなんて、そんな辛気くさいことやってられるか!もう映像の時代じゃ!と思っててんけど。

でも、コピーの本を読んでみたら、面白かってん。「酒でしか女を口説けない男にはなるなよ。ベイビィ。」(AGFレギュラーコーヒー/1981/松尾昌介)というコピーを見たりして、コピーは発見やということに気付いて。しかも映像が制限されて、文章でしかできひんから、より際立つ。そんでコピーめっちゃ好きになって、コピーめっちゃやるようになった、ということやな。

橋口:その流れの中で、2004年にTCC新人賞を受賞されます。「欲しいモノは全部馬に買ってもらいました」という、「名古屋けいば」のキャッチフレーズでした。

中尾:その頃、俺がいた電通中部支社は、もう十何年間TCC取ってなくて。誰が最初に取るかみたいな感じで、今も活躍してるやつらが競い合ってたのね。みんなで夜見せ合いっこしたり。コピーライターの大部屋みたいな感じで、もう壁にぶわーって貼ってあったりする。

で、俺もよくやってんけど、貼ってあるコピーがいまいちやなと思ったら、ちょっとちゃうコピーをピッと貼っておいたりする。それがええコピーやったらクソっとか思う。そこで鍛えられたりもして。

それで結果、僕は2番目にTCCを取ったことになったんやけど。

橋口:僕は中尾さんの代表作と言われると、グリコ「江口愛美」サノヤス造船「造船番長」といったものが思い浮かびます。時系列で見ると、新人賞の頃から、ずいぶん芸風が変わっていますよね。これは意図的なものでしょうか。

中尾:意図的やな。中部支社から関西支社に異動したら状況が変わって。普通に全国のお茶の間の人が見るメジャーなクライアントとか、メジャーな広告、商品を担当するようになって。そうすると、ニッチでぶっ刺さることじゃなくて、いかにメジャーで刺さることをやるか、になる。ニッチでおもろいことをするのは簡単やけど、メジャーでおもろかったりするのって、もっと技量がいったりするから、めっちゃ意図的にシフトするようにして。

そのときにお手本になったのは、山崎隆明さん(元電通関西、現在は株式会社ワトソン・クリックのクリエイティブディレクター/CMプランナー)。山崎さんはもともろ、おもろい関西のおっさんクリエイターやったけど、ある時から、おしゃれでおもろいことに切り替えはった。「細マッチョ、ゴリマッチョ」とかね。

橋口:見た目も、その頃から凄くおしゃれになりましたよね。

中尾:髪茶色なって。それはやっぱり勉強になった。ほんまに世の中全体を動かそうと思うと、ニッチで面白いことじゃなくて、メジャーで面白いことをせなあかんし。そのときにはおしゃれにすることとかも大事やったりするし。そう思って、がぼっと自分で意識して芸風を変えた。それがすごい生きてると思う。

その後、電通の東京本社の兼務になったのも、それが認められたんやと思うし。地方から東京に来ても、あんまり仕事定着せずに帰っていく人が多いんやけどね。俺がそのまま東京の仕事を任せてもらえたのは、自分をシフトしていったからかなと。

橋口:でも、ある程度、実績を出した後に芸風を変えることは大変だと思います。そのときの学び直しとは、どうやったんですか?

中尾:学ぶのはすごい大事。で、今の広告が良くないのは、学んだものと、似たようなことをするところやな。学んで学んで学んで、その学んで出会わへんかったことを考えるのが大切ちゃうかな。

明松:僕の場合は、2つあります。1個目は、「これ面白いな、これ新しいな」と思えるものの数を増やす。2個目は、その面白いと思ったものを表現するスキルを磨く。その両輪をやることはしてましたね。

中尾:明松さんは芝居や若い芸人の舞台とかをすごい見に行ってはって。発掘するいう意識がめっちゃありますよね。「次、おもろなるやつを俺が最初に発掘するんや!」という、それがやっぱりテレビ局の人すごいなって。広告のクリエイターは、おもろなった後の人を使うやん。

明松:それはテレビというメディアの大事な使命ですから。歌手、アーティスト、スポーツ選手、芸人、どんなジャンルでもいいんですけど、国民的スターをつくる仕事だと思ってるから。ただ、女優や俳優の良し悪しはわからないから、お笑い芸人という領域を意識してますね。

橋口:ブレイクする芸人を見分けるコツはあるんですか?

明松:愛されるかどうか、じゃないですか。その極みが岡村隆史さんだと思いますね。

橋口:愛される能力は、後から鍛えられるものなのでしょうか。それとも、天性のものなのでしょうか。

明松:昔の芸人さんには、他を否定して自分の存在を際立たせる、ハラハラギスギス感がある人もいました。そういう人たちがある程度の年齢になって、丸くなるケースが多いですね。自分で意図的に方向転換をしたのか、その人の良さに国民が気付いて愛すようになったのか、まあ両方あると思うんですけど。売れている人が全員、愛されているのは確かです。

橋口:缶コーヒーのボスの「この惑星には、愛されるという勝ち方もある」というコピーを思い出しました。

明松:もちろん面白さとか新しさとかは必要で、それだけでも最初はいけるんです。そこからメジャーになるには、愛されフィルターを通らないと駄目なんですよね。

明松さん中尾さんコンビの初仕事「27時間テレビ」

橋口:そして中尾さんに、ついに明松さんと仕事をするチャンスが来た、と。

明松:「めちゃイケ」が中心になって、「FNS27時間テレビ2015」をやった時ですね。番組の宣伝CMを作る時に、中尾が東京兼務になったのを思い出して、連絡したんです。それで中尾を、「めちゃイケ」の総監督の片岡飛鳥さんに会わせたんですよ。テレビのバラエティ界では伝説的な人です。

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