杉並区初の女性区長、岸本聡子さんの経歴はドラマチックだ。2022年、杉並区長選に立候補する直前までの20年間は、海外のNGOで活動していた。杉並区に住んでいたわけでも、知名度があったわけでもない。それでも、NGOでの経験をもとに気候変動対策や福祉の充実を訴え、支持を広げた。いまだにポスターや宣伝カー中心の日本の選挙戦にあって、YouTubeやTwitterを活用した。結果、187票差という激戦を制し、見事に当選を果たしたのだ。区長になってからも、岸本さんの型破りな活動は変わらない。今年4月23日に実施された統一地方選では、ひとりで街頭に立ち投票率アップを訴えた。そして、投票率は前回に比べて4.19ポイント上昇、当選者の半数が女性という結果となった。
海外の広告アワードでは、「ソーシャル・グッド」と呼ばれる、社会課題の解決に取り組む事例が受賞するようになっている。CMディレクターの関根光才さんの「VOICE PROJECT|投票はあなたの声」、辻愛沙子さんの「GO VOTE JAPAN」といった、広告クリエイターの活動も注目を集めている。
今、「広告」と「社会課題」の距離は、かつてなく近くなっているのだ。
この潮流について考えるために、岸本聡子さんのインタビューをお届けする。区政で忙しい中、自身の広告への考えや、その可能性について、たくさん話していただいた。
このインタビューで、日本の広告業界が変わる
橋口:コピーライターが区長にインタビューすることを、不思議に思われたかもしれないですね。
岸本:そうでもないですよ!
橋口:実は、きっかけがあるんです。カンヌライオンズという、広告の世界では一番権威のあるアワードがあります。アカデミー賞の広告版みたいなもので、世界中から集まった広告が競うんですね。
そのカンヌライオンズに2015年、元アメリカ大統領候補のアル・ゴアが登壇しました。彼は気候変動対策に取り組んでいて、「クリエイティブの力を商品の売り込みだけではなく、世界のために活用してほしい」と訴えたんです。それがきっかけで、広告業界も面白さや楽しさだけでなく、社会貢献を目指す風潮が生まれました。ジェンダー平等や気候変動対策を訴えるソーシャルな広告が、評価されるようになったんです。
今回のインタビューは、広告業界の若者や広告業界を目指す人々に読まれると思います。岸本区長の話が、アル・ゴアのスピーチの日本版のようになればと思って、そういう気持ちでここに来ました。
岸本:彼が『不都合な真実』という映画を出したとき、やっぱり気候変動問題が注目されましたよね。あれは2000年代だったかな?
橋口:2006年です。もうかなり前ですね。
岸本:一度注目されたけど、また忘れられちゃったんですよね。彼は大統領選挙に出て、(ジョージ・W)ブッシュに負けました。もし、勝っていたら、だいぶ違った世界だったでしょうね。イラク戦争は、なかったかもしれません。アル・ゴアが最高だとは思ってないけど、ブッシュよりはずっと良かったと思っています。
全国的に注目された杉並区長選、その内幕とは
橋口:2022年6月の、杉並区長選挙のときの話を教えてください。他の候補よりYouTubeやSNSを、積極的に活用されていますよね。
岸本:私の選挙キャンペーンに興味を持って関わりたいって言ってくれた映像・写真クリエイターが、2人いたんです。一人は女性で、直接私のところに来てくれたので協力をお願いしました。もう1人の男性でしたが、彼のアイデアを活かすために、自由にできる別働隊みたいな立ち位置にしたんです。その判断は良かったと思っています。新しい人たちは必ずしも旧来の市民運動的な動きにすぐ入れるわけではありませんから。
橋口:「◯月◯日、区長になる女」という動画が、YouTubeに上がっていますよね。その2人のうちのどちらの方が作ったんですか?
岸本:女性の脚本家で、ドラマや本も書いている方ですね。彼女がそのコンセプトを考えたんです。ただアイデアを出すだけでなく、きちんとストーリーを考えていたのがすごいと思います。彼女は私に密着し、その後も一緒に活動しました。
橋口:男性の方は?
岸本:広告制作を手がけているプロのカメラマンです。私のプロモーションビデオを何度も作ってくれました。ドキュメンタリー風のストーリーのあるものは彼女が作り、写真やPRは彼が手がけました。そういう人たちがアプローチしてくれたのは幸運でしたね。
選挙の素晴らしさは、金銭度外視で本当に能力のある人たちが、自分が住んでいる場所を良くしようと思って力を貸してくれることです。選挙は、どんな社会にしたいかという「共感力」が大事だと思います。その共感力があって初めてクリエーションが生まれるんです。
橋口:お話しを聞いていると、ストリートでの出会いなんですね。昔からの知り合いとか、誰かから紹介してもらった、とかではなく。
岸本:そうなんです。みんなどんどん集まってきた感じでした。
橋口:でも、そうすると、変な人が来たりはしないんですか?
岸本:たくさんいましたよ!(苦笑)。自分本位で、⾃分の⾃⼰実現のため に選挙に関わる人も多い。それももちろんありです。みんな善意である ところはわかっているので、いっしょにできるんです。
橋口:選挙戦で難しかったところはありますか?
岸本:私たちの選挙は、いわゆる草の根的な市民の選挙です。その強みは計り知れないのですが、経験豊かなベテランの運動家に頼らざるを得ない。今までのやり方や比較的小さい市民運動のコミュニティーの外に出るのが難しい。
⼀⽅、これまでの運動と直接とつながっていない新しいグループが参画するきっかけにもなりました。たとえば、気候変動問題に取り組んでいる「西荻大作戦」というグループがあります。私よりちょっと若いくらい、もしくは同世代の人たちが中心です。環境カフェやゴミ拾いなど、いろいろな活動をやっています。そういう人たちも、いっぱい入ってきました。さっき言ったクリエイターさんのような個人もいます。2、3人とか、4、5人のグループも入ってきてくれました。本当にいろいろなバリエーションがあって、面白かったですね。
橋口:今のお話、草の根的な広がり方が、オバマの選挙戦に近いなと思いました。大企業などの組織票に頼らずに、自主的に集まってきた若者たちが盛り上げたと言われていますよね。有名なオバマのポスターも、もともとはクリエイターが自主的に作ったものですし。
岸本:赤と青の。
橋口:「区長になる女」も、BGMがロックだったり、いわゆる選挙動画と全然違うと思います。女性脚本家が自分でつくったものなんですか?
岸本:ぜんぶ、彼女のコンセプトですね。中身については、私からはほとんど何も言ってないです。
橋口:映画の予告編みたいですごく面白いなと。
岸本:元々、あれは1本のドキュメンタリーにしたいという気持ちで作ったものを、小分けにして出したんです。今でも彼女は、私のドキュメンタリーの制作をしているんですよ。
橋口:そうなんですね!それは見たいな。
岸本:私の選挙活動の動画ではあるんだけど、彼女自身のエンパワーメントでもあったなと思います。彼女はその後、自分も選挙に出てもいいなと言っていました。そういう人がいっぱいいるんですよ。応援して、頑張って、いろいろなことをみんなでやって。
街宣をやってるときに、SNSの得意な子が何人かいて、「じゃあ私今日インスタライブやるわ」みたいな感じで始めたり。みんな本当に、自発的なんです。洗練されたメディアの活用法ではないけど、みんなできることをやる、という感じでしたね。
橋口:当選されて、海外の報道では「Suginami‘s Bicycling Female Mayor」というタイトルで初登庁の様子が紹介されていました。自転車というのがキャッチーな見出しに使われて、拡散していました。あれって意識されたんですか?
岸本:してないですよ(笑)。
橋口:自転車は効いたと思いますよ、PRとして。
岸本:いろいろ幸運だったと思います。初登庁のときに自転車で行くというのは別に狙ったわけでもなんでもなくて、家から数キロの距離なので、自転車で行くのが一番合理的なんです。元々自転車で通勤しようと思っていましたしね。本当は、けっこう方向オンチなので、自転車で迷って初登庁に遅刻したらまずいんですけどね(笑)。アムステルダムでもベルギーでも自転車で生活していたから、私にとっては普通のことです。
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